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山下大輔の印度見聞録 WEB版

埼玉中小企業家同友会の機関誌「DOYOUさいたま」2024年4月号「ほっと一息」-山下大輔のインド見聞録-記事の元になったインタビュー(会話)です。
Zoomの字幕設定にて(音声を文字化する機能)作成されるテキストファイルから作成しています。

話し手: 株式会社多福   山下大輔
聞い手: 有限会社ネスコム 矢澤敦臣

きっかけは?

矢澤:前回お話したとき、インド訪問のきっかけは太田代表理事から誘われたとのことですが、いつ行かれたのでしたっけ?

山下:昨年(2023年)の11月ですね。

矢澤:昨年11月。太田代表理事がインド旅行に誘ったのは、山下さんがコロナ禍で飲食業が影響を受けてどうしたらいいのかと悩んでいる様子を見たからでしょうか?

山下:いや、わかんないですね。なんで誘ってくれたかは太田代表に聞かないと。

矢澤:なるほど。

山下:悩んでるのは知らないと思いますけど。

矢澤:じゃあなんで誘ってくれたかわからなかったと。

山下:なんかそうなんです。それはそれはちょっとわかんないですね。

矢澤:でも最初は行こうかどうか迷ったわけでしょ。お金もかかるし…、

山下:そうですね。迷ったんですけど、太田代表の会社にはインド人の社員がいるってことで。

矢澤:太田代表の会社で、インド人の社員が働いているのを見たからですか?。

山下:そうです。インドの方が働いてるっていうことだったんで、それだったらちょっと行ってみようかなっていう。

矢澤:インドはどういう国かというかなということで?

山下:もともと海外で仕事をしたいと思っていたので、そういうことを聞いたので、じゃあ行ってみようかって。

矢澤:前に聞いたお話だと、最初に得た印象はインドはかなり活気があったとのことですが…。

山下:はい

矢澤:前回、日本食レストランはあるけど、そういう店は金持ちがターゲットになっていると話されましたよね。

インドで日本食を広めたい

山下:もっともうちょっと分かりやすくするためにはその日本のレストランがインドにもあるんですけど、すごく高いので、もっとそのローカライズの、地元の人たちにも、もっとミドル層の人たちに食べてもらいたいっていう気持ちが強くなったってことですね。

矢澤:普通の層の人たちにも食べてもらうようにならったらいいなと思うようになったと。

山下:そうそうそう。

矢澤:その日本食のレストランがあるっていうのがわかったのは、最初にインドに行ってから見た様子なの?

山下:そう。日本食のレストランはインドにもあるんですけど、すごく高いんですよ。

矢澤:高い?それで普通の人たちにも食べてもらうといいなと思った感じですよね。

山下:そうです。はい。

矢澤:で、それを見たのが太田さんと行った時?

山下:あ、そうですね。太田代表と行ったときにそう感じたんですよね。

だけど、日本人向けじゃなくてやっぱりインド人向けのやつをやりたいなぁと思って、もちろん、それでどんどん進出している会社もありますけどね。

矢澤:インドの富裕層っていうよりも、一般の人たちにも食べてもらいたいようにしたい。

山下:そうです。そうです。

矢澤:すべてのインド人にって言ったら、行きすぎかな?。

山下:そうですね。すべてのインド人はちょっとまだまだちょっと難しいんで、そのなんかあのハイエンドのインド人じゃなくてやっぱりミドルレンジの人たちに食べてもらいたいなっていう。

矢澤:と思って、日本に帰ってきた。ってことですね。前回は。

山下:あ、そうです。はい。

矢澤:それで一念発起っていうか。やるんだったらもう一回インド行って活動の基盤を作ろうと思って。今回行ってるわけですよね。

山下:そうですね。日本食の。なんかこう、日本のご飯をもっとたくさんの人たちに食べてもらいたいな和食をたくさんの人たちに食べてもらいたいなっていう思いのもとですね。

矢澤:それで今回、インドに行って見て印象に残ったこととか、インドで聞いたことは、何かな?。

山下:あの見て聞いてというのはどういうことですか?

矢澤:インド人から聞いた情報だとか、インドはこういうところなんだよとか。

それから、インドでの噂って言うか。

例えば、日本語学校に行ってこんなこと話してたっていうような、それがヒントになるような。

非常に単純な話だけど、見聞録って見たことと聞いたことなので(笑)

山下:はいわかりました。まぁそれが、1回目のファーストインプレッションで、そこから2回目に行くまでの間にインド人を一人。インドで日本食レストランをやるために、インドで働いてくれる人を探したわけですよ。

インドで僕が働いてもしょうがないんで、この働いてもらう人を探さなきゃいけないなっていうふうに思ったのです。今回の目的としては。

その前のやつですね。その前にまだあって、その前その来る目的の前に11月行ったときはまずファーストインプレッションで、その後、実際日本食のレストランをやるっていうときに、

矢澤:現地で仕事をしていただく人を探さなきゃいけないって…。

山下:そうですね。そうです。はい。

矢澤:ファーストインプレッションというのはインドに最初にインドに行ったときのことで、そのとき戻ってきて次に行く間の期間で、日本に戻ってきて考えてたことですよね。

山下:そうです。そうです。で、11月に行ったとき、インドの方を採用内定して日本に来てもらう手続きを進めてたんですよ。

女性だったのですが、家族の反対があって来れなかったんです。

それで今はミャンマー人の方を内定して、今年の4月と今年の7月に採用するんですね。

その時、僕が食の文化をインドにもっと広げたいと思ったのは、インド人は日本に対するリスペクトをすごく持っていて親日なんです。

すごく遠い国なのにですよ精神的にも物理的にも。だからほとんどの日本の存在っていうのがないんですね。

でも、今つないでくれているのは若者に読まれている漫画くらい。

漫画を通じて日本にも興味を持っている人たちがいるわけですよ。

矢澤:他の人たちは?

山下:でえっと、まあ、若者から年配の人まで、その日本の製造業ものづくりってすごくそのクオリティがすごく高いっていうのは知られていてだけどすごく「値段が高いよねっ」ていうところがあって、あまりその日常化してないわけですよ。

だけど、親日っていうところで、だから、それをもっと日本とインドをつなげるためにはやっぱり食はすごく大きなキーワードなので、食をもっと身近なものにしたいなぁって。

矢澤:食を通して日本をつなげる橋渡しみたいなことをしていきたいってこと?

山下:そうです。

矢澤:ミャンマー人には日本に戻ってきてから会ったわけ?。

山下:そうです。あのミャンマーにいるミャンマー人を特定技能という制度で日本に呼んで内定させるっていうやつですね。

矢澤:なるほど。

山下:特定ビザの手続きを日本に帰ってからやったら、ミャンマー人のこういう方がいるよ。

って紹介されて、それで内定して、彼らに彼らか彼女かまだわかんないけど、あのー。

インドにはまだ飲食の特定技能のライセンスっていうのがなくて、スリランカとかバグラディッシュとか他の国で試験を受けて、その試験受けて合格してからじゃないと日本に来れないっていうステップがあってですね。

それだと時間がかかるから、まずは外国人を雇う形にしたんですけど。そのインドの方が、残念ながらキャンセルになっちゃったんで。

えっと、僕らの会社で雇えるのって結局4人ぐらいしかいないんですよ。

矢澤:4人ぐらい?。

山下:そう海外人材は4人しか雇えないですね。

それだとその和食の文化を広げていきたいって言っても、すごくボリュームの小さい話なので。

それはそれで自分たちも飲食業なんでインドで支援したいっていう気持ちもあるんですけども、それよりもっと日本で働きたいと思っているインド人の方々を日本国内の和食屋っていうか、外食産業の人たちに供給したいと思ったんですよ。

矢澤:外食産業の人たちに?

山下:外国人材の人たちをもっと日本の外食産業に紹介したいと思ったんですね。

外食産業に紹介したいっていうのは、その人たちは日本の外食産業の人たちに日本で外食産業をやっている店舗とかそういうところに対してインド人とかその周辺の人国の人たちを採用できるようにするための仕事をしたいって思ったんです。

だから2回目。1月にインドに来た目的は日本食のレストランをやるための現地でリサーチがひとつと、でもうひとつの目的は外国人材を日本にどんどん紹介していくっていう2つですね。

矢澤:外国人材を日本で紹介したい。

山下:そうです。そうです。

日本もその人材不足ということで、とても困っているし、インドの方もキャリアステップをしたいから日本で働きたいっていうことで、その2つですかね?

で、それで、まずは僕は英語ができないので、現地に行ったら日本学校を回って、そこからどんどん人がつながっていくっていうことを今やってるっていうことですね。

矢澤:日本語学校にいるから入れてるってことは日本に来たいっていう希望もあるわけですよね?。

山下:持っている人もいますね。

矢澤:日本語学校へ行って、それでキャリア交流を深めてたら両方がお得になるんじゃない。

山下:そうですね。

矢澤:Win-Winの関係が築けるから日本語学校を回る。

山下:そうですね。

矢澤:Win-Winの関係が築けるから、日本語学校をからつながっていくのはどうかと考えて、今回の2度目のインド訪問ではそれをメインとして日本語学校訪問をを各地でやってる。

山下:そうですね。

そのつながりの中で結構いろんな出会いがあるので飲食につながるような情報を聞いたりするんですけど、でも飲食だけじゃなくても全然たくさんの可能性があるっていうのは今回わかったっていう感じですかね。

その可能性っていうのは何かっていうと、僕たち日本っていうのはどんどんその経済が縮小していくのはもう間違いない中で、どうやって生き残っていくんだというところに関しては、競争相手との戦いにおいて差別化をしていくとか、あるいはまその中でも新しいビジネスをしていくとか、そういうことでしか対応ができないと思ですけど、インドはに経済成長が本当に著しくて、あの一年ごとというよりも、本当一ヶ月二ヶ月とかそのスパンですごく成長しているのですよ。

例えばその日本人がすごい時間をかけて慎重に事業を進めていくっていくのが日本のスタイルだとすると、インドはなんかとりあえずやるみたいな。とりあえず、やってみるっていう。

その、とりあえずやってみるが結構クオリティが低かったりするんですよ。

でも、クオリティが低くても結局人数その人口も多いし経済もどんどん発展してるからそのなんかうまくやってるんですよね。

それを見たときに僕が今思ったのは、日本の中小企業が持っている力。

外部環境がとても厳しい状況の中でもやり続けている日本の中小企業の力が必ずインドで通用すると思ってるんですよ。

で、それは僕らみたいなそのサービス業だけではなくて、製造業、もの作りの会社であっても本当にたくさんの、すべての企業、すべての業種においてインドでチャンスがあるっていうふうに思ってるんですね。今それをすごく肌で感じているという状況です。

で、間違いなく何らかのいい結果が出るとは思ってるんですけど、ひとつ言えることはインドは多民族国家なので、地域が違うと言語が全く変わったりとか、民族性みたいなのも全然違ってたりするのでそのあたりの難しさはあるんです。言葉の問題と騙されないようにするとかをクリアできれば日本の技術とか、人を大切にするマネジメントとかは必ず通用するなって今感じてるんですね。

実感としては、例えば、今インドを拠点に日本の食材をインドに入れている卸売業者があるんですけど、そこは設立してもう12年ぐらい。社長はインドに来て15年ぐらいの方なんですけど、70人ぐらい従業員さんがいて年商7億円ぐらいなんですよ。そこの会社の従業員は一年に一人か二人しかやめないらしいんですね。

それは何をしているかっていうと、インドはカーストの名残がすごく強いので、決められた仕事しかさせられないんですけど、その中でも頑張ってる人はどんどん評価するよっていう風な形にしていると。
あとは仕事が終わったら社長もその本当に平社員さんも関係なく、もうお互いフラットだよね。っていう感覚で接してるらしいんですね。まさに日本的な経営だと思いますけど、それが通用しているという事例だと思うのですよ。

それとインドって、家族をとても大切にするような部分があって、でもそれはそのなんかやっぱり裏切られたり、そのいろんな厳しい環境なの中で、家族だけは信頼できるというのはあるんですど、そこを超えて本当に同友会が大切にしている同友会理念がしっかりとはまる可能性があるっていうことが、今回1事例しかないんですけど、その卸業者さんから聞いて、そう思ったとっていうことが一つです。

あとは例えばさっきの何でも可能性があるって話なんですけど、

僕はあの今飲食っていうアプローチで行ってるんで飲食何やろうかなっていうふうに考えてたんですけど、まぁやっぱり多民族のところでどうやってオペレーションをしたらいいかっていうのがわからないっていうのがあるんですよね。

まだやったことがないから、じゃあそうするとなかなか和食の居酒屋みたいな多品種のものを扱ってバーってやるっていうのはまだまだ厳しいかなというふうに思ってまして、じゃあ品目を少なくしてやるしかないじゃないですか。

居酒屋ってメニューいっぱいあるじゃないですか。

それをやろうとすると、いきなり大変ですからね。

飲食からいろいろな業種へ

まだまだオペレーションがそこまでだから、本当に簡単なやつしかできないなと思っている中でラーメンとかだったら結構簡単かな。

ラーメンだったらできるかなって思った時に、ラーメンのその、やっぱいろんなね。

ちょっと高めのレストランとかでラーメンとか食べるんですけど、全然美味しくないわけですよ。それであの一番まずいのは麺なんですよ。

で、この麺が日本の麺を出せば、あの絶対売れるだろうなっていうふうに思ってて、それは例えばインド人の日本学校に来るような学生さんに日本のラーメンを振る舞ったりするわけですよ。そうするとめちゃくちゃうまいと。日本に興味のある人たちが来てるから、ちょっとそれは何とも言えないんですけど。最初は全くその日本の日本食とかに触れてないような子たちがそれをもううまいって言って食ってるんで、そうすると例えば僕は飲食っていうアプローチで来たんだけど、製麺所やってもいいわけじゃないですか?

製麺工場、とりあえず作ってやっても、のヌードルっていっぱいあちこちあるんで、うまいヌードルを出しまくればめちゃくちゃ売れると思うのですね。

一方、日本は製麺所までどんどん潰れてるわけですよ。

でもその技術はあるんで、その潰れているところで、その古いその製麺器は廃棄されているわけですよ。

それをインドに持って行って生産しちゃえば小麦なんてめちゃくちゃ安いし、人件費がめちゃくちゃ安いからそこで、日本の技術と、そしてその人を雇うっていうことで、日本式のマネジメントがそこでで生きれば、もっとうまい麺を出せるわけで、すよ。まあヌードルって言った方がいいかな。それはラーメンだけじゃないんですよね。

麺の焼きそばみたいなのがあるんですよ。インドに。

例えば僕は飲食のアプローチからそういう発展がで来てますが、広島同友会の松岡製麺所の松岡さんという方と懇意にしているるから、「ちょうどインドに来ていて、製麺所やりたいんだけどどしたらいい?」とか相談をしたりとかしてて。

こんなこともできたり。あとは、インドってコールドチェーン(保冷・冷凍等を備えた配送ネットワーク)が全然できてないから、そうなると、まずは製麺所をやるといいんじゃないかなんて。

あとは奄美大島。

僕、あの奄美大島でマグロの養殖をやってる会社の友人がいて、彼が「餌の調達で基本的にメキシコから仕入れてくるイワシはキロ80円から百五六十円の間で相場で買ってるんだよ。」

った話していて、「もし大ちゃんがインドに行くんだったらコールドチェーンの問題があるかもしれないんだけど、インドで紹介できるんだったらいいんじゃない」いみたいな話があって、それでインドにコチっていう都市があるんですけど。

コチって2000年以上前からアフリカ大陸から人が来たりとかっていうふうなのがあったりとかして往来がすごいんですよね。

人の往来が、そこが港町になってて、そこで水揚げされるから行ってみたら、っていうのを現地の人に聞いて、それであの現地っていうかインドの人に聞いてコチに行ったらイワシ上がるよって言ってくれて。

で、現地でインターネットで探したんですけどその会社が全く見つからないわけですよ。

だから、ChatGPTとかも使いながらやったんだけど見つからなくて。会社名が見つかっても検索がうまくできないみたいな。

しょうがないからタクシーでそのエリアまで行ってタクシーのそこの現地の言葉って英語も通じないしヒンドゥー語も通じないみたいな。

だからとかしょうがないからタクシーの運転手に「僕はここに行きたいんだ」って写真を見てたんですよね。こういう施設に行きたいって。あの市場の冷凍施設の建物ってわかりますかね。

建物自体がもう冷凍庫になってるっている施設があるんですよ。

その写真を見せたら、その辺の人に聞いてもらって、付いたらの運転手に通訳してもらって、で、現地の漁業関係者の人とつながりますよね。アテンドやブローカーも必要ないないじゃないですか。常にダイレクトにやるようにすれば、変な情報に惑わされることなくなりますよね。

それでちょうど来週そのミーティングをするんですよ。

現地の水産会社と、現地の言葉がわかるインド人と、あとはその貿易関係。現地の言葉もわかって日本語も明るい通訳の人と。あとは貿易関係のヒンドゥー語と。

日本語がわかる通訳が二人いて、現地の水産会社の人と僕とそのマグロのその養殖の人と五人で。Zoomで我々の欲しいイワシっていうのはこういう状態のものが欲しいからで金額はいくらにして欲しいから、それで商売に成り立つかどうかっていうのを打ち合わせするんですよ。

というようなこともあり、本当に何でもできると思います。

ちょっと話長くなっちゃいましたけど、

矢澤:そうか。すごく素晴らしい。今まで山下さんがやってきた業種を超えてっていうか、隣接業種かもしれないけど新しい事業にも結びつくし、自分が行動することによって現地と日本と、それから現地のネットワークができて、さらに新しいビジネスができるんじゃない。それに挑戦していきたい。

山下:そうです。そうです。それは僕個人じゃできない僕個人の能力ではできないわけですよ。

だから中小企業家集団として、まずは僕が現地で刈り取りをして、現地のコーディネーターは入れずにダイレクトに全部やって。そこから事業構築をしていくときには、専門の日本の中小企業の人と一緒にそれをやっていくっていう。

日本語学校を設立したい

これは本当にそれができるかできると思ってるんです。

もう一個、今僕自身が検討していることなんですけど、さっき冒頭言った。インド人を日本に連れていくっていうこともそうなんですけど、日本語学校を僕回ってるじゃないですか?

日本語学校の質がめちゃくちゃ低いわけですよ。僕が回ったとこだけですけどね。

ですから僕が日本語学校をインドで設立して、日本人で日本語教師としてのスキルを持っている人はいるらしいんですけど。その人達と一緒に例えば日本からZoomで教えることができれば、距離の制限がなくなるのでプラスになるかな。現地で日本語を教えるのもありで、ネットか現地かをチョイスできる。

それがなんでできるかといえば、僕が日本語学校を回っているから。

だから、その日本語力がアップする日本語学校を作ることによって、日本に興味のあるたくさんのインドの方々が集まるし、その教育レベルも高くなれば、日本語のレベルも上がるし、さらにその日本の企業に紹介をしていくいうことができるればと。

現状の日本学校の先生たちに僕が聞いた中で思いついたことですけどね。

その人たちは全然日本の企業にその人をどうやったら紹介できるかなんて考えてないわけですよ。

矢澤:日本語学校で日本語を教えただけで、その後のことを考えてない。

山下:そうそうそう、日本語を教えるっていうことだけで止まってるわけですよ。

そんな状況なので、我々はそうではなくて、日本のカンパニーにどんどん紹介するところまで持っていくこと、そして紹介された日本のカンパニーもキャリアアップにつながる労働環境をつくること。日本の会社まで紹介する流れをちゃんと作るっていうのが今僕は考えていることで、さらに彼らのキャリアアップに寄り添おうとしてるんで、その会社が嫌だったらやめてもいいんですよ。やめられないためには企業側も努力しなきゃいけないわけですよ。

その中で一生懸命企業側も努力すれば、働く側も「こんなによくやってくれるんだこの会社にいようかな」とかっていう人も出てくると思いますよね。健全な労使関係っていうか。

それは同友会的な考え方だと思うんですけど、そこまで一連の流れを考えてやれる人はインドの国内に、なかなかいないんじゃないかなと思ってるわけですよ。まだ回りきれてないからわかんないですけど。

今、僕が誰と打ち合わせをちょっとしようとしているかっていうと、群馬同友会の高屋敷さん。もともとオーストラリアとかいろんなところの英語教室で日本語教師をやってたんですよね。で、彼女のネットワークで、今度日本語学校の業界について教えてもらおうかと。

例えば40代から50代ぐらいの子育ても一段落してきて主婦で昔は日本語教師やっていた方の中にはちょっとそういうまた世界とつながりたいんだよ。というような人って絶対いると思うんですよ。

そんな機会を創出して、それを展開していくっていうことも考えられるんじゃないですか?

こういうのはその現地に来ないとわかんないことなんですよ。

で、もう一回ちょっと繰り返しなんですけど、僕一人じゃできないし、中小企業が集団でこれをやっていくっていう。

来てから1ヶ月なので話せるレベルはこのくらいなんですよね。

まだまだいろんな大変なことがたくさんあると思うんですけど、実際やるとしたらいろんなトラブルもあると思うんですけど、こんなところが今回の見聞録の結論かなっていうところですかね。

矢澤:結論っていうのは、もともとその飲食を広めたいところで行ってるんだけど、いろいろ接して考えて。接して接していろんな話をしていくうちに、ネットワークがもっと広がって、自分一人じゃなくて中小企業の連合体のビジネスに発展していく可能性が十分あるよってことですよね。

山下:あ、そうそうそう。

で、なんかインドとつなぎますよっていうのっていうのは多分あると思うんですけど。

でもそれって、まあわかんない。まあそれはちょっとやめとこう。それをやってる人いっぱいいるからそこはちょっと言わないでおきますけど。はい。

矢澤:それでインドにやってって、いろいろな可能性を非常に感じて、築いていきたいとなっている。

インドが親日であることの可能性

山下:そうそうそうそう。やっぱりその情報と人で、あと技術で日本とインドをしっかりつなげていく。ベースにあるのが親日だってことです。

インドが親日だっていうのはすごく大きいですね。

今土木工事関係って日本の企業がすごく入っててそれはあの、えっと太田代表の方が詳しいと思うんですけど、新幹線とかも日本の企業らしいですよ。あとモノレール。電車とかね。

例えば高速道路とかも700キロぐらいの高速道路の道が今ちょうどムンバイからケララ州っていうところまで700キロ。すごい長いんですけど、それを一年でつなごうとしてるんですよ。

700キロって言ったら日本だと東京から広島ぐらいかな?(広島までは約800キロ)

山下:結構ありますよね。一年ですよ。

矢澤:ああ、岡山ぐらいか?(岡山までは約650キロ)。それをもう広げて作っている。

山下:そこに50社入ってるんですよ。この700キロの間に。

矢澤:50社って日本企業が?。

山下:いや、建設している会社が50社で分割してやってるんですけど、素晴らしかったですよ本当に。工事中のキララ州が本当にすごかったですね。

他の地域よりも。僕はまだ5都市ぐらいしか見てないですけど、抜群ですね。

矢澤:ケララ州というところで建設工事が進んでいて、インドの企業が50社工事に関わっている。

山下:そうです。

矢澤:そのプロジェクトを請け負ったのが日本企業なんですか?。

山下:いやいや、それはわかんない。

新幹線とか鉄道関係とかは日本企業が結構入ってるらしいですが、そこじゃなくて僕が言ったのはそこじゃなくて。

矢澤:道路の方は地元企業が50社が関わって共同で建設作業が700キロの建設工事が続いていてとても活気に満ちて将来性を感じる。

山下:そうそうそうそう。本当に1970年代から80年代の日本ですよね。

あの時代ですよね。で、それが14億の人口で行われているっていう。

ものすごいですよね。だから考えられないですよ。

来ないとわかんないと思います。頭でへー、すごいんだっていうのとかしかないと思うんですけど。

もう来て来て感じるってどこじゃないですかね?

矢澤:そう、噂を聞いて購入したインド株の投資信託。すごく上がってますよ。

山下:2042年までずっと上がりますからね。バブルですからね。

矢澤:インドの経済成長に興味持っていて、株に投資すればわかるかなと思ってるんだけど。

山下:そうですね次はその通りだと思いますよ。

で、あのみんなその土地を手放さないんですよ。

値段が上がるから。だから貸すときはすごい安いんですけど、売るときは売る値段がもう全然比べ物になんないぐらい値段。

でもその倍速、例えば20年前の場合とかじゃなくても十倍ぐらいなんですよね。

ムンバイとかだと。

そうだ家賃とかも年間契約。例えば2年後は5%から10%の間で家賃が上がるっていうふうな契約になっているんです。基本的には。

インフレがそれ以上に進んでるんで、全く問題ないというか値段も上げちゃえばいいっていう家賃が上がった分だけ、サービス料を上げちゃえばいいだけなんてすごくないですか?

矢澤:すごいですね。すごく活気に満ちている感じがする。

山下:だからすごいんですよ。これはね、本当に現地に来ないですね。

絶対にわからない。本当にわかんないですね。

数字とかだけじゃわかんないですね。景色がやっぱ頭に入って目から入って頭に残らないとあと音とか埃とか。汗臭さとか。フッフッ。

矢澤:現地にやってこないとわからない。

山下;そうそう。でもやっぱりインドに来れない人がほとんどだと思いますよ。

日本の中小企業って。自分の会社のマネジメントがあるから。

だからそこを僕はつなげていきたいなと思ってるんですよね。

やっぱそのなんだろう。各工場なんかもたくさん見るんですよ。でもめちゃレベルが低いわけですよ。素人の僕が見ても。

これをその日本の企業の方々がサイエンスとか5Sとかでね、本当にあの工場をきれいにしながら、丁寧にものを扱いながらやっている。同友会で学んだ仕事のやり方がこっちに入ってきたらもうそれだけで各企業に信頼される。というか、インドの他の企業から。この会社はクオリティが全然違うと。でも人件費はやっぱり安いから値段を抑えながらクオリティをすごく上げられるっていうことができると思いますね。

でも、インドへの輸出はちょっと難しい。やっぱインド国内で何かをするっていう形が一番。それじゃないと難しいかなと思いますね。

今僕が知っている中では。

とにかくインド国内で何かするっていう。

そんな感じです。はい。

矢澤:わかりました。

山下:あと。ほっとしたことも。昨日ちょうどケララ州のコチっていう場所に、嵐もないあの内海があるんですよ。

嵐が全く来ない場所なんですよね。コチって。

内海の中に島々があるんですよ、その島々を船で地元の人々が往来してるんですけど、そこの往来している中でそのそれをちょっと観光にしている観光ビジネスもあるわけですよ。そこで、その船に乗りながら、もう2ノットか3ノットぐらいってめっちゃゆっくり進むんですけど、で、そこであの日本のあの歌をブルートゥースを流しながらええなんかその島のちょっとした小島みたいなところに一回降りて、そこでめちゃくちゃうまい。現地の魚とか肉とかもう。あとなんか現地のなんかよくわかんないお酒、発酵酒みたいなものを飲んで、すごい。なんかあの、本当にいい気分で。またあの船に戻りたいみたいな。すごい良かったですよ。

自分が今まで張り詰めてたそのー、なんか苦しい。例えば日本でこれからどうしようってどうすることもできねえなって構造的に厳しいな。とかって思ってた部分とか。あとインドに来て、緊張感もあって、こうなんとかあの結果を出していこうみたいなところとかっていうのが、その現地でその生活している人たちと時間を過ごしたときに、その人たちって本当に気ままにあのそこの海で魚取ってん、それ自宅に生えてるココナッツを取って、なんかお金がなくなったらなんかそれを売ったりしてる。らしいんですけど、それで、なんか生活してるからなんだろうな。

あの時間っていう概念がないというか、何かにし追われてるっていうのがないからなんか本当に日本人より精神的に豊かだなっていうのはとっても感じまして、それは僕は勝手にそう思ったんですけど。

なんか、その時にあの僕自身もその、自分のその生き方っていうところをまあなんだろうな、こういう時間って、本当大事だなっていう誰かと一緒にうまい食事を食べてふざけた会話をしてて、そのまま船の中で寝たりしたんですけど、そういうのとかすごい良かったです。それはもう本当に一息ってのつきましたね。

——記事原稿ここまで↑—

矢澤:なるほどね

山下:はい、写真を動画送りますよ。こんな感じっていうのを。ほっと一息につながればいいなっていう。ッハッハッハ。

矢澤:いつ帰るんですか?

山下:3月12日。ですね。

矢澤:そうそう、ホット一息という記事なんだけど、活躍してガンガンやってるような。

だけど、今お話しされたように一息つける時もある。みたいな

ホット一息もちゃんと体験してるし、なんか精神的な豊かさを現地で感じて、また観光ビジネスって観光っていうか、この時間の過ごし方が。すごく”活気があるけどゆったりしている”。

山下:そうそうそうそうなんかね、本当にそんな感じがしますね。

だから適当にみんな仕事してるんですけど社長も。だけど、なんか豊かですよね。

自分の思ったまんまに仕事してるし。

矢澤:じゃあ、その辺の活気って、日本とはまた違って、日本は昔その高度成長の時は「やるぞ」っていうようなガチガチだったようなイメージなんですよ。

インドは活気があるんだけど、なんかゆったりと活気があるって感じなの?。

山下:そうそうそう、それやるぞって感じじゃなくて、「これをやってみようかな〜」。「あれもやってみようかなぁ」「やっぱ飯うめえな」みたいな。そんな感じで「ちょっと俺料理作るわ」っな。自分でかもう調味料とかをゴリゴリゴリゴリ潰したりとかして、そこにいっぱい時間使ったりしながら、いい生活だなぁみたいな豊かな豊かな生活だなと思いましたね。

矢澤:いいね。いいね。失敗を恐れないというか失敗してもいいよっていうな。

山下:そうそうそうなんか失敗じゃないですよね。多分ね、この人たちからすると、これやってみよう、あれやってみようみたいな。常にそんな感じですよね。

矢澤:(多くの)本とかに載っているGoogle的な発想に近いんだなあ。

山下:あ、そうなんですか。

矢澤:Googleは失敗すると褒められるみたいですよ。

Googleは失敗することを推奨している企業みたいなんですよ。エジソンもそうじゃないですか。

失敗したんじゃなくて、こうするとダメだっていうことがわかった。っていうことを言ってるわけでしょ?

山下:そんな感じですね。

矢澤:だから、それがヒントになってやってどんどんどんどんいいものを作ってったのがエジソンであったりグーグルであったりするんだけども、そのベースっていうのはインドなのかな?インドもそのベースとしてあって挑戦しても挑戦してもやってみようっていうような挑戦を繰り返してどんどんどんどん伸びていく。

山下:そうですね。そうです。そうです。はい。

つづく かも

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