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中部地区第28回総会


2014年5月21日。日光市の「鬼怒川グランドホテル夢の季(ゆめのとき)」において、中部地区第28回総会が開催されました。
まずは前期で退任された石塚会長が挨拶に立たれた後、議案は滞りなく審議され、各議案とも承認されました。


石塚会長あいさつ20140521

最後に久賀代表理事よりご挨拶いただき第28回中部地区総会は無事終了となりしました。


代表理事あいさつ20140521
 

 

28回総会集合写真
続く第2部は、今回の会場となった鬼怒川グランドホテル夢の季 代表
取締役の波木恵美氏の記念講演です。
以下、「地域活性・旅館活性への道」と題してお話しいただいた内容の要約です。
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ホテルを創業したのは両親で、山を切り開いて建てたてました。当初は2階建ての30〜40室ほどの旅館で「鬼怒川温泉なのに鬼怒川のそばではない。」「こんな山奥に作ったらいつかは潰れる。」などと言われましたが、東京オリンピックの後ということもあり、日本が発展していったので旅館業も栄えていきました。
昭和60年前後になるとバブル経済に入り、団体旅行も盛んになってきたことから、銀行も「大きくしなさいよ」とお金を貸すようになり、周辺の旅館も含めかなり大型化していきました。
ちょうどその頃は私も大学を卒業する時期で、父は跡継ぎを目論んでいたようですが、大学時代にマーケティングに興味を持ったことで広告会社に勤務することにしたのです。配属されたのは当時の女性にはめずらしいは営業職でしたが、そこで得た知識やローカル局をまかされた経験、いろいろな方と接触できたことは今でも役に立っています。


波木氏報告

約2年間勤務した頃、父が病気を煩ったことで、戻って来て欲しいということになりました。常務という役職が与えられ、何も分からない状況で営業に回されることになったのです。有難かったのはみなさんが、やさしかったことです。私たちは温泉旅館の第一地区は北陸と思っているのですが、加賀屋さんをはじめ北陸の旅館の皆さんに営業の仕方とか考え方とかおもてなしとかを教わりました。
一方、広告業界に勤めていたものですから旅館とを比較すると、組織のあり方と教育に対してすごくギャップがを感じたのです。そこで、組織化をはかったり教育に取り組んだりしていたのですが、父が復帰すると口をはさんでくるようになり、やがて大きな衝突があって、家を出ることにしました。
では、何をしようかと考えたところ、日本国中を回ってきたものですから日本中に多くの知り合いがいます。国内で起業して迷惑をかけたくないと思って海外に目を向けました。
海外でもこれからはアジアだと思い、その中でも中国を選びました。約20年前のことですので、(中国を選ぶとは)変わり者だと言われたのですが、若かったこともあり、思い切って飛び込んだのです。
その時助けてくれたのが広告会社時代に知り合ったマーケティングの先生方で、
「海外で企業するなら向こうの状況を良く見なさい。」と事業計画の立て方や見方などを半年から1年かけて教えていただいたことが私の財になっています。
当時中国旅行といえば雑伎を見に行くのがメインでした。しかし中国旅行は団体から個人に変わってきたこともあり、個人の方に「本当の中国文化を伝えよう」と京劇に関する文化事業を興しました。
京劇は口伝なのです。内容と踊りや歌などは師匠から直接伝承されるため脚本が欲しいと思ってもありません。あらすじしかわからないのです。そこで京劇院(芸術学校)に「その人がやるものを脚本にしてください」と交渉して、なんとか脚本を入手することができ、始めたのが京劇のイアホンサービスでした。
京劇を通して出来た人脈と、中国の方達とのふれあいいが多かったことは、いまでは中国の方をお迎えするのに役だっています。
このようなことを続けていたら、父の病気が悪化し鬼怒川に戻ることになりました。今度は父の病気だけではなく足利銀行が破綻した問題も絡んでいたのです。
そんなことで地域は疲弊していて大変な状況になっていました。
そうなると旅行会社に営業に行っても「お宅はお客様からの評判はいいけど、わざわざその(疲弊した地域に)行かなくてもいいじゃない」とさんざん言われたのです。
また、日本の旅行も団体から個人へいう傾向となり収益も大きく減少することになりました。
このような状況を打開するには、地域の問題(解決)が一番だろう。と地元の青年部と組んで進めていたところ、政府の海外からお客様を呼ぼうという「ビジットジャパンキャンペーン」が開始され、翌年鬼怒川観光協会の中にもインバウンド委員会が設置されました。国が「中国へのキャンペーンだ」と話していたことから、発足と同時に「中国だったら波木さんでしょ」ということになり、委員長に任命された次第です。
運が良かったのは中国側の交渉相手となった人が顔見知りだったとか、中国で築いてきた人脈が活かされたことです。
当時は業界の中でもインバウンドという言葉を知らない者も多く、「今は国内のお客さんが多いのだから、海外からはいいよ」という方も多くいました。しかもアジアカップか何かで反日運動が起きた影響もあって、向こうに(日本人が)行くと襲われるのではないかという思いも強かったようです。ですから委員会が発足してすぐに「現地へ行きましょう、行けばわかりますから」とメンバーを連れて中国へ行きました。行ったら現地の皆さんはウェルカムで日本で報道されている内容とは違うことがわかったのです。やはり百聞は一見にしかず。海外のことは現地に行って現場を見ることが一番信頼を得る方法だと信じています。
このような状況下でインバウンド活動がはじまりました。
旅館は国内においてはライバルとなりますが、海外戦略においては合議していかないと、何をやったらいいかわからないということもあって、これが、地域一丸となって進めていける要素になったと言えます。
それで春節祭という中国の旧正月に合わせて、日本のお正月を体験してもらおうというイベントを開催することになり、旅館だけではなく、観光施設・交通機関などが一体となっておもてなしをしようとなりました。
旅館はお屠蘇を出したりおせち料理を出したり、2大テーマパークである日光江戸村さんと 東武ワールドスクエアさんは2日間ずつ海外のお客様には無料で見てもらうことなりました。バスもカードを発行して対象の観光施設に行くのであれば無料で運行。また他の周辺のお店や施設からも値引きなどするという活動が功を奏し、3〜4年目頃からは、この約1ヶ月ほどの期間で中華系のお客様が1万〜2万人来るようになったのです。
この活動が「地域一丸で何かをやろう」という成功体験例になりまして、後の地域活性化に繋がっていくことになります。
またこの活動が評価され、私も「ビジットジャパン大使(VJ大使)」に任命されました。
春節祭企画を皮切りに、海外だけではなく国内のお客様にも喜んで頂こう。
「ここはいつ来ても楽しいね」と言っていただける地域になりましょう。ということで、各季節ごとにイベントをつくることにしました。
次に作ったイベントは鬼怒川って「鬼が怒る川」ということで、ごついイメージがあり男性の地域だと思われていた節があるのを、「優しい地域に変えて行こう」ということで2〜3月のひな祭りの時期に合わせて「きぬ姫まつり」を開催することにしました。
ひな祭りというと大きなお祭りを行っている地域が多いので、名前を少し変えないと皆さんのイメージも変えられません。何をやるかと言うと、使わなくなった大きひな壇を譲っていただいて、各旅館に飾ることにしたのです。それを見に歩いてまわることで泊まらない旅館さんにも行けて、雰囲気を味わっていだけるようになりました。
それと同時に獨協医科大学日光医療センターの院長先生が「観光医療をやりたい」と手を上げてくださって「きぬ姫健診」といものを行うことにしました。「きぬ姫」だから当初女性のための健診と考えていたのですが、「男性はどうするんだ!」ということになり、男性も受けることのできる「きぬ姫健診」になっています。
その後の6〜7月といえば七夕なのですけど、「きぬの川から天の川へあなたの想いを伝えます」をコンセプトに短冊にい願いを書いて、それを鬼怒姫神社の宮司さんにお炊き上げして頂くという行事に育っています。
さらに、もっと誘客するために昼間のイベントだけではなく夜のイベントもやりましょう。ということで、中秋の名月にちなんだ「月あかり花回廊」という約10日間に渡る夜の明かりのイベントをやることになりました。
これは地域住民の方も一緒になって行う一大イベントで今年で6年目になります。
このような流れの中、旅館の社長としての私はどうなんですかとなると、実際インバウンドのことをやっているときは会社(ホテル)には、ず〜っといないい状況が続いていましした。
母の時代は、旅館業の女将ということでお客様に必ずご挨拶する。ここの旅館に来れば必ず女将がいるとおうスタイルを取っていました。
ところが私はほとんそいないものですから、女将業ができないのです。ですから女将がいなくても、女将がいるようなおもてなしのできる旅館にしたいのです。
「女将を科学する」という観点から「女将とはお客様にとってどういう存在なのか」と考えますと「(女将とは)『お客様が旅館にいるときは気持ちよく過ごしていただいて、帰っていただく』とう気づかいのできる、おかあさん」なのですよ。
それを社員一人ひとりができればこんなにいいことはないと思い、私はいつも「社員が主役です」と言っています。
ですから当館の主役は女将ではなく社員なのです。そこで月に1回全体会ということで、各部門から先月の反省と目標を発表してもらっていますし、毎週1回はリーダー会を開いて、先週の問題、今週の流れといた内容の話をしています。
また月1回は幹部会ということで、幹部に集まってもらい、数字の話や人事問題などを話をします。
こちらも月1回なのですが拡大リーダー会として2〜3ヶ月先、例えば今ですと「夏休みどうするか」というような、対策のための時間を長めにとって月に1回ずつ、先取りした話し合いを進めるといったことを行っています。
私もこれらの会にはできるだけ参加するようにして、いま会社はどういう状況になっているのかを把握するよう努めています。
そういうことで、「お客様にどのように対応したら喜んでいただけるのか」を自分たちで考えることのできる組織作りを念頭に置いて動いてきました。今はお陰様で社員がいろいろ考えて動いてくれるようになっていますから、私も外でがんばれるという状況になっています。
私としましても旅館業は今までの古い形ではなく、新しいスタイルの宿泊業に変えて行きたいなという思いがあります。
VJ大使に任命したいただきましたので、それを活かして、官公庁・県・市など行政とのつながり良くして、これまでのように旅館業側が行政の話を聞いるだけではなく、これからは旅館側からも行政に働きかけ、うまく付き合っていければいいなと思っています。
私は新しい宿泊産業を念頭に置いて動いています。それに準じてうちの社員に会社をどういう風に盛り立てて行けば良いかを考えてもらえるとありがたいです。
旅館業は、これから変えていかなければならない部分がたくさんるあります。伝統産業ですが、おもてなしの心はそのままで、おもてなしの伝え方を変えていかなければならないかなと思っています。
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(以上記念講演要約)
記念講演の後、2時間の休憩はさんで、19時からは第3部の懇親会で乾杯。


懇親会

懇親会後も自然と各部屋に別れて熱い論議が交わされながら鬼怒川の夜は更けて行きました。